Tuesday, June 27, 2006

摘錄》HYATT REGENCY KYOTO>京都の小路>第一回 京都とお茶



京都の昼下がり。四条通り祇園町南側を八坂神社を背にして歩いてると、花見小路を越えたところから、行列が見えてくる。その行列の先は「茶寮都路里」だ。

茶寮都路里は、宇治茶の老舗である「祇園辻利」の甘味処であるが、抹茶を「食べる」というスタイルを日本中に広げた第一人者でもある。そのスタイルはたった十年の間に、私達のお茶に対するイメージを変えてしまうほどであった。
抹 茶をスイーツとして頂く起源は、今から約四十年前、昭和四十年頃に遡る。当時、日本は喫茶ブームであり、人は皆、こぞって喫茶店で珈琲を飲んでいた。日本 茶や抹茶は、人々の日常から遠ざかっていた。一七五三年に創業した「林屋茶店」が五代目のときに開いた、「京はやしや」で、「お茶をもっと親しみやすく提 供したい」想いから、京都初の「抹茶パフェ」が考案された。抹茶パフェは舞妓さんたちの口コミから、日本全国へとその名を轟かせることとなった。作法にと らわれることなく、抹茶に親しむ。昼下がりに時間をかけて飲む珈琲と同じように、お抹茶と供に他愛無い会話が交わすという風景が、今では京都の日常となっ た。

私たちは、京都のお茶を特別なものとして捉えていることが多い。それは、日本茶の生産で一番有名な静岡県とはまた別のイメージである。京都のお茶のイメージの根底には、京都がお茶と供に歩んできた歴史が存在するからではないだろうか。



京 都のお茶は宇治茶が有名であるが、その歴史は今から約800年前の平安末期まで遡る。当時、日本は宋との国交が開かれていた。栄西は宋に入り、茶の種子、 道具、点て方を習得して帰国した。これは現在の抹茶に近いものであった。その後、京都高山寺の明恵上人は、栄西から贈られた茶の実を京都にある栂尾で栽培 した。これが、宇治茶の原点である。
室町時代になると、足利幕府の奨励を受け、宇治茶の名声は世に広がった。その後も宇治茶の御茶師たちは、時の 将軍に手厚い庇護をうけ、江戸時代には、新茶の季節になると将軍様のところまで運んでいたという(写真は[茶匠 井六園]が当時を再現した様子)。これは「お茶壺道中」と呼ばれていた。そして、私達がいつも口にしている煎茶は、江戸時代中期に、宇治田原郷湯屋谷の永 谷宗園によって創案されたものである。お茶は何百年もの間、京都を舞台に様々なドラマを繰り広げてきたのである。

京都に来て、お茶を頂くということは、平安末期から絶えることのないお茶の歴史に触れることでもある。そしてまた、新旧が融合して生まれた、京都ならではの新しいお茶のありかたも知ることができる。

第一回 京都とお茶

0 Comments:

Post a Comment

<< Home