Thursday, September 04, 2008

北大路魯山人

▼美食家の北大路魯山人は、料理哲学を様々な言葉で残した。〈どうしても料理を美味(おい)しくつくれない人種がある。その名を不精者(ぶしょうもの)という〉。魯山人が没する前年、この信念に挑むかのような商品が世に出る。熱湯だけで出来上がる「チキンラーメン」だ

美食家北大路魯山人曾留下许多烹饪哲学名言。他曾说“总有一些人无论怎么努力也做不出美味饭菜。这种人就叫做懒人”而在鲁山去世前一年,有一种商品似乎有意向此观念发起挑战般登陆了市场。这就是只需用热水就可制成的“鸡肉拉面”

▼日清食品が世界初の即席めんを売り出して、おとといで丸50年になった。腹ぺこを3分で片づけるインスタント技術に、器いらずのカップ型も加わり、食の風景は一変した

日清食品当时作为世界第一个将方便面投放市场开始,直到昨天已经经历整整50年。这种只用3分钟就可解决饥饿问题的速成方法,现在已经发展到将外包装做成杯子形状节省了容器。食品文化因此发生巨变。

▼学生時代、仕送りの谷間を、チキンではなかったが即席めんが埋めてくれた。湯を切っためんに中濃ソースを絡めて焼きそば風にし、粉末スープは別に食す。妙な一汁一菜はしみじみうまかったけれど、袋にプリントされた「盛りつけ例」がまぶしかった

学生时期,父母曾经将非鸡肉味方便面放到邮寄包裹里寄给我。去汁后的荞麦面汤味浓郁,另外将调味粉制成的汤汁单独食用。虽然用这种汁面分离的怪方法也能作出美味的面,但是包装袋上印制的“制作方法详解”格外枪眼。

▼貧乏学生がすがった即席めんは今、緊急援助に欠かせぬ品となった。各国メーカーでつくる世界ラーメン協会は、ミャンマー水害と四川大地震の被災地に計100万食を送った。きょうも誰かが湯を注ぎ、細く長く、命をつないでいるだろう

曾让穷学生赖以生存的方便面,现已成为紧急救援物资中不可缺少的重要物资。各国制造商组成的世界方便面协会,为缅甸水灾和四川大地震受灾地区共捐献了共计100万包方便面。即使现在,如果有谁将热汤缓缓送入嘴边,细长的面条,都能紧紧牵动着生命吧。

▼世界で年に1千億食が消費されている。中心は中国で、日本の食文化が逆上陸した形だ。生みの親の安藤百福(ももふく)翁は「半世紀」を1年待てなかったが、発明品のグローバル(全球)化を見届けての大往生だった

全世界人每年要吃掉一亿袋方便面。其消费中心为中国,而日本食品文化也因此出现逆转态势。
方便面之父--安藤百福虽然没能看到日清食品度过“五十岁大寿”,但在他去世前已经见证了自己的发明打进国际市场。

▼空(す)き腹にまずいものなし。この格言に、魯山人も異は唱えまい。即席めんのうまさは、万国、五感より腹加減で決まり、すすれば当座の元気は出る。逆境でこそ輝く一杯。食べ物が偏在するこの地球で、太く長く続きそうな「ハングリー」との二人三脚である。

肚子饿时吃什么都香。对这一格言,魯山人也提不出什么异议。觉得方便面味道香浓最主要的原因是因为饥饿感而非由国家,五感决定。轻轻嘬上一口面条,人就能立刻恢复体力。也许正因为身处逆境这杯面才更能发挥作用。这个食物分布不均的地球,长期与持续存在的“饥饿感”抗衡正需要我们共同努力。



安藤 百福(あんどう ももふく、1910年3月5日 - 2007年1月5日)は日本の実業家。商業ベースで成功したインスタントラーメンの開発者。日清食品(株)創業者。
日本統治時代の台湾出身(旧名:呉百福)。第二次世界大戦後に中華民国の国籍を選択、のち日本に帰化。1948年に(株)中交総社(後の日清食品)を設立。日清食品の代表取締役社長、代表取締役会長、創業者会長を歴任。(社)日本即席食品工業協会会長、(財)安藤スポーツ・食文化振興財団理事長、(財)漢方医薬研究振興財団会長、世界ラーメン協会会長、(財)いけだ市民文化振興財団会長などを務めた。1934年、立命館大学専門部経済科修了。1996年、立命館大学名誉博士。池田市名誉市民。位階勲等は正四位勲二等。
「チキンラーメン」や「カップヌードル」の開発により、日本のみならず世界の食文化に変化をもたらしたことで知られる。

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