Wednesday, October 15, 2008

绪形拳さん,一路走好

歌舞伎役者のように虚空をにらんで、緒形拳さんは静かに息を引き取ったそうだ。臨終に立ち会った津川雅彦さんは、その時を「おれもあんな死に方をしたいと思うほど格好いい最期だった」とまとめた。
据报道,绪形拳静静地停止呼吸时,像歌舞伎艺人那样望着空中。临终时在场的津川雅彦事后说,在那时“他走得那么安详,使我也想像他那样离开世界”。

危篤と聞いて病院に駆けつけると、71歳の名優は一度ベッドに座り直したという。ひとしきり仕事の話をし、「治ったらウナギ食いに行こうな。白焼きをな」。この誘い、津川さんの激励ではなく、緒形さんの言葉というから驚く。淡いユーモアがにじむ、骨太の幕である。
得知绪形拳病危,津川雅彦赶到医院后,这位71岁的名演员曾一度从病床上坐起来。他一度还曾谈起工作的事,“病好之后去吃鳗鱼吧。要不加佐料直接烤的”。这句话不是津川雅彦的激励,而是绪形拳说的,让人感到吃惊。(这句话)包含着淡淡的幽默,成为绪形拳的令人印象深刻的遗言。

照れ、愁い、狂気。どれも一流だったが、影をまとうほど輝きは増した。「楢山節考」で背負われ、山に捨てられる老母を演じた坂本スミ子さんは「演技でこなさず、役になりきるすごみを感じた。心では今も親子のままです」と語る。
害羞、多愁、疯狂。每一方面都堪称一流,越低调,光芒越是耀眼。在《楢山节考》中扮演被背到山中扔掉的老母亲的坂本寿美子称赞他“不是靠演技进入角色,而是彻底成为角色,让人感到可怕。从心里现在仍然是母子关系的感觉。”

肝臓がんのことは、家族限りとしていた。遺作のテレビドラマ「風のガーデン」の撮影では、玄米食で半年の長丁場を耐えた。倉本聰さんの脚本は命を正面から描く。訪問医役の緒形さんには死を語る台詞(せりふ)も多い。万感を込めたであろう仕事を結び、制作発表の5日後に逝った。
身患肝癌一事,绪形拳一直以来只让亲属知道。据作为遗作电视连续剧《风帘》的摄影透露,绪形拳半年来粗茶淡饭,忍受长途劳顿。仓本聪创作的该剧剧本对生命进行了正面描写。绪形拳在剧中扮演访问医生,台词中多处谈到了死。《风帘》也许融入了绪形拳的许多感慨。该剧结束制作并播放,是在他去世5日之后。

あったかい味の書をたしなんだ。絵手紙を交わした東京都狛江市の小池邦夫さん(67)のもとには、「でくのぼう」と朱書きした賀状がある。別の一葉には「牛はのろのろとあるく」。
绪形拳喜爱满含温暖感情的书。据与绪形拳用明信片进行交流的东京都狛江市小池邦夫(67岁)说,他手里有绪形拳寄给他的用红笔写的“你这个木头人儿!”的贺卡。另外的一张明信片上写的是“牛走路,慢吞吞”。

そんな墨跡の通り、武骨に、ゆっくりと大きく、役者道を全うした。坂本さんの感慨に寄り添えば、演じた役のすべてが本物の緒形拳である。最後はあの白髪で、優しげな背中で、秋の夕景の一部になりきった。
字如其人,绪形拳自若地、不拘小节地走完了他伟大的演艺人生。如果正如坂本寿美子的感慨那样的话,绪形拳所扮演的全部角色就是本真的绪形拳。最后,绪形拳那苍苍白发和优雅的身影,彻底成为秋日晚景的一部分。

关于「息を引き取る」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa483388.html
关于绪形拳去世的报道:
http://www.yycaf.net/bbs/redirect.php?tid=148886&goto=lastpost