Wednesday, October 01, 2008

小泉引退——激情岁月已远

小泉氏引退―あの熱狂はすでに遠く
小泉引退——激情岁月已远

「ドン・キホーテには、狂気といわれながらも、あるべき姿のために戦い抜く男の気高さがある。そこに心を打たれる」
“虽说唐・吉珂德疯狂,却有着男人应有的战斗到最后的气概。我的心被他感动。”

政界引退を表明した小泉元首相が今春出した著書にある一節だ。
这是声明退出政界的原首相小泉今年春天出版的著作中的一段。

風車に立ち向かったドン・キホーテと違い、首相の座をめざして小泉氏が突撃した相手は30年近く身を置いた自民党だった。
与和风车对抗的唐・吉珂德不同,为挑战首相宝座,小泉所冲击的对手是其置身近30年的自民党。

「自民党をぶっ壊す」といった分かりやすい言葉と捨て身の迫力が、小泉氏を首相に押し上げた。有権者は、まるで政権交代が実現したかのような熱狂で迎えたものだ。
“砸碎自民党”这样简单易懂的语言和奋不顾身的动人魄力,将小泉扶上了首相宝座。选民抱着对政权更迭的期待满怀热情地迎接小泉的上任。

「小泉改革」への反対者を与野党を問わず抵抗勢力に見立て、激しい言葉で国民に直接訴える。歴代首相にはない新しい政治スタイルだった。
“小泉改革”的反对者不分在朝在野,建立起反抗势力,以激烈的言辞向民众直接控诉。这是历代首相任期内都没有的政治形态。

イラクへの自衛隊派遣では「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域だ」。自身の年金にまつわる問題では「人生いろいろ」。暴言と紙一重の答弁も押し通した。不良債権の処理やイラクへの自衛隊派遣、そして、長年の悲願だった郵政民営化が実現したのは、小泉氏一流のそうした「突破力」があってのことだった。
对于向伊拉克派遣自卫队,小泉表示“自卫队活动区域是非战斗区域。”而对于养老金记录混乱问题,小泉称“人生多种多样”。回答近乎蛮不讲理却仍一口咬定。不良债权的处理、向伊拉克派遣自卫队,以及多年来决心完成的邮政民营化的实现,体现了小泉一流的所谓“突破力”。

バブル崩壊後の日本の長い低迷と、それに有効な手の打てない自民党政権に、人々はうんでいた。そんな時代の空気をつかみ、政治のありようを一変させた規格外れの政治家、それが小泉氏だった。
面对泡沫破裂后日本长期低迷,自民党政权未能拿出有效应对手段,日本民众早已对之产生厌倦。小泉成功抓住了这一时代的气息,政治生态为之一变,成为一代卓越的政治家。

官邸を去って2年。安倍、福田と政権は移り、その後を継いだ麻生首相は景気の先行き不安のなかで、小泉改革が残した「痛み」に焦点をあてる。
自卸任起至今已经2年。继政权向安倍和福田转移后,麻生首相接任,在对经济前景的不安中,小泉改革所遗留下的“改革之痛”成为人们关注的焦点。

たしかに多くの劇薬を含んでいた小泉改革は、日本の社会に負の遺産も残した。それを見て、永田町の振り子は小泉政権誕生前に戻った観もある。
确实,下了很多猛药的小泉改革也给日本社会留下了负面遗产。考虑这一点,也有应把永田町的钟摆调回到小泉政权成立前的观点。

だが、小泉改革が残した課題や、やり残した問題は、次に控える麻生自民党と小沢民主党の政権をかけた戦いにそのまま引き継がれる。
但是,即将接替的麻生自民党和小泽民主党的政权将继续面对小泉政权遗留下来的课题和未竟的问题。

それにしても、小泉氏の引退表明は多くの有権者を驚かせ、関心を引きつけた。それは、小泉政権が世の中にもたらしたあの興奮の記憶がまだ鮮やかだからだろう。再び永田町の表舞台に上ると思っていた人もいたのではあるまいか。
即便如此,小泉退出政界的声明也震惊了众多选民,吸引了人们的关注。这也许是因为小泉政权为世界带来的兴奋仍让人记忆犹新吧。想必还有人期望小泉再次登上永田町的舞台。

元首相はきのう、同僚議員に「総理を辞めた時、本当は(議員を)辞めようかと思った」と話したという。03年の衆院選を前に、中曽根、宮沢の両元首相に引退をのませた経緯もある。そのことへのけじめがあったかも知れないし、仕事を終えた時が辞め時だというのもいかにも小泉流の「美学」を思わせる。
据报道,小泉原首相昨天向同僚议员表示“辞去总理职务的时候,确实想过辞去(议员)职务”。2003年众院选举之前,曾有过中曾根、宫泽两任原首相宣布引退的先例。小泉宣布引退,或许有着与此划开界限的考虑,也让人想起小泉等人“工作结束的时候也就是辞职的时候”的“美学”。

だが、後継に自身の次男を指名したのは、改革者としてはいただけない。「変人」の名をほしいままにした小泉氏もふつうの親だったということか。
但是,指定自己的二儿子继任议员职位的做法,对于作为改革者的小泉来说是不可接受的。这是不是说明想要“怪人”名声的小泉也是个凡人呢?