Wednesday, August 08, 2007

大奥

江戸城・大奥の礎を固めたのは3代将軍家光の乳母、春日局(かすがのつぼね)とされる。60半ばでの辞世は〈西に入る月を誘(いざな)ひ法(のり)をえて今日ぞ火宅を逃れけるかな〉。欲に満ちた火宅を春日局が仕切った17世紀前半、はるか西方では「イスラムの大奥」が栄華を極めていた。

德川幕府第三代将军的乳母、享年六十有五(已得西登极乐之法,今日脱离繁华的人世)的春日局,曾是江户大奥宫中最有权势的女人。在享够了荣华富贵、最后竟为之所苦的春日局离开人世的同时,也就是十七世纪上半叶,遥远的西方也有一个“伊斯兰世界世界的大奥”,正处于其最为繁荣昌盛的时期。

オスマン帝国の都、イスタンブールの輝きを伝える「トプカプ宮殿の至宝展」が、東京・上野の都美術館で始まった(9月24日まで)。1000人もの女性が暮らしたハレム(後宮)の品々は、バラの香りに抱かれて並んでいる。

旨在炫耀奥斯曼帝国的都城伊斯坦堡的辉煌的“托普卡普皇宫珍宝展”正在东京的上野美术馆隆重开幕(9月24日结束)。曾经有1000多位奥斯曼帝国皇室女眷的居住过的哈雷姆宫的藏品,并排陈列在一片香气缭绕的蔷薇花丛中。

ハレム、またはハーレムと聞けば殿方は落ち着かないだろう。この言葉は、もっぱら一夫多妻の背徳を帯びて欧州に伝わり、世界に広まった。アングルの「トルコ風呂」(ルーブル美術館蔵)では、多くの裸婦が妖(あや)しく憩う。

一说起哈雷姆宫,众所周知,那不是奥斯曼帝国的皇帝夜间就寝的地方吗?“哈雷姆”这个词,不但在盛行一夫多妻制的流传,甚至名扬全世界。在法国作家安格尔的油画《土耳其浴室》上,描绘的正是哈雷姆宫的嫔妃们赤裸着上身、摆出妖艳的姿势坐在在一起休息时的情景。

現実のハレムは、世継ぎを争う場だった。奴隷市場から連れてこられた異教徒の美女たちが、作法や教養、歌舞を身につけ、君主スルタンの寵愛を競う。首尾よく男子を産めば、母后として国に君臨する道も開けた。

当年的哈雷姆宫,是围绕着皇位继承权明争暗斗的场所。这些被人从奴隶市场领进皇宫的异教徒的美女们,学会了礼仪、教养和歌舞,费尽心思去争取赢得君主的宠爱。若能侥幸一举得男,更是有望日后能以母后之尊君临天下。

化粧箱、羽根うちわ、出産用のいす、ゆりかご。自分を飾り、勝ち残るための道具は華やかで、どこか悲しい。小型のうちわは、見知らぬ男との「会話」にも使われたという。例えば、頬(ほお)からずらせば「愛してる」になった。

化妆盒、羽毛扇、分娩椅,还有婴儿床。为了在争宠战中获胜而进行华丽的自我装饰,多少有点身不由己的悲哀。小型的羽毛扇,在和陌生男子谈话的时候也有使用。例如,如果少女将羽毛扇从脸部移开的话,就表示她已经爱上了眼前的男子。

ハレムが育んだ文化は、時が博物館へと押しやった。言葉には官能の澱(おり)だけが残された。大奥と同様、その名が風俗産業に多用されていることを知れば、往時の女性たちはうちわを左耳にあてるかもしれない。「ほっといて」と。

哈雷姆宫孕育出的阿拉伯文化,现在只能在博物馆中观赏了。当年的宫廷用于,也只有部分只言片语残存到现在。如果当年的女性们知道哈姆雷宫和日本的大奥宫一样,日后只是在风土文化产业上被人提及,也许她们会用扇子遮住左耳,说道,“给我自由吧!”